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2017-09

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微々たる読書 - 2016.07.11 Mon

相変わらず、1日1~2頁しか読めないという、どーーーーーん亀読書が続いている。

それでも、読み終えることができるのは、不思議な気もする。

ここ最近読んだものをつらつらと書いてみる。


又吉直樹 『火花』
 これは、感想保留。
 1回サラっと読んだけれど、もういっぺんぐらいは読まないと何も語れないような気がしている。


桐野夏生 『優しいおとな』
 へぇ~、これも桐野作品? って、ちょっと意外な気がした。
 『魂萌え!』、 『東京島』あたりから、読んでいないところへもってきて、
 ミロ・シリーズを読み直したりしているので、印象がグチャグチャになっていた。
 で、この『優しいおとな』は、読み終えてみると、エグ味よりもどこかサワサワっと微風が流れてくるような、
 胸の奥の方がチクチクするような、口の中に梅干のタネが残った(ナンノコッチャ?!)

 機会と勇気があったら、ここ最近の桐野作品を読んでみようか・・・な・・・? とちょっと思った。


川村元気 『世界から猫が消えたなら』
 淡くて散漫でとりとめない印象。
 でも、普通の人の普通の日々は、そういうものじゃないかと思った。
 鋭く切り込むでもなく、深く掘り下げるでもなく、埋没するほどのめりこむでもなく、
 だからこそ、おおかたの人は、生きて、生き続けているのだろうと思った。
 この散漫さやとりとめのなさが、今、よくわかる。

 何気ないようで重い重い喪失。
 深刻なようでどうってことない喪失。
 喪うことがどういうことなのか。
 真正な答えなんて、あるわけないじゃない?
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ブログと読書 - 2015.12.31 Thu

ひとつ。
ブログをどういう姿勢で扱ったらよいのか、決められずにいた。
ずーっとずっと長い間。

ひとつ。
自分が紡ぐ文章にぶん回されてしまうような、暴力的な力を厭わしく思っていた。
これもまた、長い、長い間。

答えは見つからないけれど、再開した。
ブログの捉え方は、そのたびごと違ってもよし。
つまり、ブレにブレまくるをよしとしよう。

文章に関しては、当惑しっぱなしだが、悪あがきもよしとしてみる。


読書。
ここ数年来、1日1~2ページ、多くても2~3ページの読書量。
精読なんてほど遠く、入眠儀式、誘眠剤のようなものになっているのだが、
そんな遅々とした読書の仕方で、ひとつの作品を、何度も読み返す。

からだにまとわりついたその作品世界から抜け出すことができなくて、
読み終わるとすぐにまた最初から読み始める。
ページを開くと、昨日の続きがすぐそこにあって、前に読んだときとは異なる気づきに驚くこともしばしばだ。

ちょっと前まで読んでいたのは、『アルジャーノンに花束を』。
一度目は、なんだかシラケながら、
二度目に、描かれた人物に愛着を抱いて少し切なさを感じながら、
そして三度目に、感動と、筆者を見つめる目をもって。
強烈なインパクトを与えられたわけではないのに、これは私の愛読書のひとつになったことは確かなようだ。

四度目、読み始めようとしたとき、「ちょっと待って」という声が聞こえたような気がした。
次に進めと、その声が言っているように思われた。

それで手に取ったのは、篠田桃紅さんの『百歳の力』と『一〇三歳になってわかったこと』。

これは小説ではないので、きっと半年も読み続けることはないだろうとは思う・・・自信はないけれど。
でも、103歳の篠田さんから見れば、私など思春期の少女程度でしかないのかもしれない。
いっぱしの年寄りぶっている私に、そんなふうに思わせてくれる、とても素敵なご本だ。

読書メモ - 2015.02.07 Sat

やっぱり書いておかないと、ガンガン忘れてしまうので、
思い出せる範囲で書いておこう。

この1~2年のうちに読んでいた本。

髙村薫『新リア王』
分厚い新刊本の上下2巻。
1日1ページぐらいしか読み進めることができなくて、1年以上ダラダラと読み続けた。
最後まで読み切ったのだが、活字を追う以上の読み方ができたのかどうか・・。
機会があれば再チャレンジしてみたい。

髙村薫『晴子情歌』
こちらも分厚い上下2巻。
これは再読だったから、最初に読んだときよりも、遥かに面白く読み進めることができた。

この2作品に続くシリーズものも、本は入手しているのだが、なかなか手をつけられないでいる。
(ほかに寄り道ばっかりしているのだ)
ぜひぜひ、なんとか私なりの読みこなしをしてみたいシリーズなのだけど。

池波正太郎『真田太平記』
これ、何冊あるんだろう。文庫本で10刷以上はあったと思う。
再読、そして再々読と、去年の秋から冬にかけて読みふけった。
ついでに、かなり昔のNHK大河ドラマの『真田太平記』も、全編、数度にわたって観てしまった。
はじめて読んだのは20年ぐらい前だったか。
今回立て続けに2回通読したけれど、何度読んでも面白い。
(ちなみに、来年のNHK大河が真田丸だと決まる以前の話)

奥田英朗『オリンピックの身代金』
好きな作品のひとつとして挙げてもいい。
上下2巻を3回も通読してしまった。

『オリンピックの身代金』に、≪草加次郎≫が登場し、そこからのリンクとして、桐野夏生のミロ・シリーズへ突入。
『水の眠り 灰の夢』(この作品に、≪草加次郎≫が登場する)
『ローズガーデン』
『天使に見捨てられた夜』
『顔に降りかかる雨』
そして、『ダーク』
すべて再読だったから、じっくりと味わいながら読んだはずなのだが、すでに記憶はあやふやだ。

ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』
何年かぶりの翻訳もの。
内容以前に、やっぱり翻訳書はきついなー。
原書を読めるだけの語学力がない限り、このハードルは、なんとか飛び越えないといけないんだけれど。十代、二十代のころは、まったく抵抗なく読んでいたはずなのに、この抵抗感の出どころがわからない。

宮部みゆき『ペテロの葬列』
素直に面白かった。しちめんどくさくなりすぎることもなく、バランスがいい作品だなと思った。

湊かなえ『Nのために』
『告白』は、再読するのはためらわれるけれど、これはすんなりと再読。
しばらく時間をおいて、さらに読み返すこともできそう。

重松清『流星ワゴン』
面白かったけれど、かなり強引に、一局面で描き切っているような、重心の傾きを感じてしょうがなかった。
あ、これぞ、男性のロマンチシズムなのかな。

・・・とりあえず、思い出せるものを並べてみると、特に最近は、テレビの番組やドラマや映画に触発されての読書ばかりなり。もっとも、就寝前の数ページ読書しかしていないから、作品から作品へのリンクをしている余地はないのだ。

そして、枕辺には、読みたい本が溜まるばかりなり、と。

宮部みゆき著 『ペテロの葬列』 - 2014.11.19 Wed

 久しぶりに宮部作品を読む。

 この作品が原作のテレビドラマを観ていたのだが、どうにも納得がいかなかったり、わからなかったりしたものだから、原作を読んでみることにした。

 原作は、実にわかりやすくて、なるほど~そういうことだったのかと得心。
 同時に、この作者の、ひとに対する眼差しのやさしさが、今更ながらわかったような気がした。

 …と、ほとんど1年ぶりのブログ更新で、書きたいことはいっぱいあるのだけれど、まあボチボチとことば慣らしをしていこう。

たまには読書の話も - 2012.10.28 Sun

というタイトルを掲げても、実は書くことがない゚(゚´Д`゚)゚

いや、日に一度は本を手にはするのだけれど、まるでお約束のように、1ページ読んだところで睡魔に負けてしまうのだ。決まって1ページだ。頑張っても1ページと数行。

別にいやいや読んでいるわけじゃない。
読みたくない本を読んでいるんじゃない。
面白いと思い、興味も尽きないし、昨日読んだその継続線上で読み継いではいるのだが、それでも1ページ。

私にしては珍しく、ハードカバーで購入した上下2巻に及ぶ大作だ。
先の展開も気になるし、ものすごく楽しみなのに、それでも1ページ(>_<)

今、上巻470ページほどのちょうど真ん中あたりまで到達した。
全編読み終えるのは、一体いつになるのだろう?

こういう読書、はじめてかもしれない。

(多分、6月あたりから読み始めたのだと思う。
途中7月あたりにちょっと寄り道して、浅田次郎の長編を、これは超特急で読んだ。
それ以来ずっとこの分厚い2冊が、枕元に置かれている・・)

最近の読書事情 - 2012.03.13 Tue

たまたまなのだが、最近の読書事情、かなり胸に突き刺さる作品が多くて、かえって何も書けずにいた。

まずは辻内 智貴。

『セイジ』『竜二』『青空のルーレット』『いつでも夢を』。
どれも応えた。
何度も読んだ。
文章は決して上手くはない。
それでも、
一番心に近い作品。


浅田次郎。
『ハッピー・リタイアメント』『夏 プリズンホテル』『秋 プリズンホテル』『冬 プリズンホテル』『春 プリズンホテル』
どの作品にも、自虐とも取られかねない(それはないか?)小説家が登場して、まあ笑わせてもらえる。
小説巧者だなーと、今さらながら思いつつも、習作と称される『プリズンホテル』シリーズも、それが習作と称されるが故に、興味シンシンで読んだ。


奥田 英朗。
『邪魔』
一気に読んでしまった。面白かった。
でも、読後すぐに忘れた。
いつかまた読むことがあるかもしれないけれど、今のところ、忘れておこう。


佐野洋子。
『シズコさん』『神も仏もありませぬ』
自分も作者と近い世代となり、同じような老親を抱えて、はじめて強く共振できるのだろうか。
親であり、子であり、親としての思い、子としての思いがわかってしまうことの身動きとれないやるせなさ。
思っていたよりも、ずっと剛毅で繊細な洋子さん。
もう少しお近づきになって、できればお友達になりたいから、もっと違う作品も読んでみたい。
応えた。


村薫。
『神の火』『マークスの山』『李謳』『黄金を抱いて翔べ』
どの作品も、最初に読んだときに見つけられなかったものが、少しずつ見えてきたような気がする。
細部のリアリティが凄いとは、常に語られている作家であるし、その質量に圧倒されてしまうが、そこを透かして読んでみると、のちの『晴子情歌』へ通じる道筋がはっきりと見えてくるような気がする。
登場人物たちのどこまでも深い暗さを読み解いてみたい。
現在、『照柿』と『地を這う虫』を併読中。


あとは忘れた・・(-_-;)

遅々として進まぬ読書なれど - 2011.09.20 Tue

『海炭市叙景』   佐藤泰志 著

 ≪ひとつの町と、そこで暮らす市井の人々を描いている。町の物語であると同時に、八人の主人公とその周辺の人々を描いた群像劇でもある。・・・≫ 小学館文庫『海炭市叙景』あとがきより≫

第1章9編、第2章9編の計18編の短編から成る、未完の短篇集。
全編を通じて、淡々と描かれていて、その静謐が心地よい。
市井の人々の日常の断片の連なりであるがゆえに、大きな起承転結的結末は用意されておらず、終わりが見えない。ダカラ、ナンダッツーノ? と、何度も思うのだが、だからこその作品群であり、だからこそ胸に染み渡る。

こういう力みも澱みもなく、削げるものをきれいに削ぎ落とした文章への憧れ。



『2050年は江戸時代』  石川英輔 著

発想も着眼点も面白いところいっぱいの、いわば近未来を描いた物語。
物質文明が行き詰まり、自ずとリサイクルと自給自足の江戸時代の農村社会へ回帰した社会(どうやら21世紀らしい)を描いていて、現在社会への提言も多々含まれてはいるのだが、ことがことだけに、笑いなしには読めなかった。たとえ苦しんだり足掻いたりしたとしても、こんなふうにうまいこと推移できるのなら万々歳なのだろうけれどね。システムとしての世の中も、ヒトそのものの暮らしや習慣・感性・体力などなども、そう簡単にスイッチできるものではないだろうな。



『閃光』   永瀬隼介 著

力感のある作品。
玉川上水に上がった扼殺事件(現代)から、30数年前に起きた三億円事件がひもとかれてゆく。
かつて三億円事件に関わったことのある老刑事と、出世志向バリバリで根性ひん曲がった若手刑事コンビが、これに当たる。三億円事件の謎解きとしても、面白かった。こういうこともありえるんだろうなーと思わせてくれる。

この作品、映画化されていて(ロストクライム ー閃光ー) 、主役刑事役を奥田瑛二と渡辺大が好演している。特に渡辺大(渡辺謙の息子)が、癖のある若手刑事役を、嫌味を見せて演じているのには苦笑混じりの拍手喝采だった。


その他、平成17年2月号のオール読物より

『供物』 浅田次郎 著

浅田次郎にしては固い語り口を感じた作品だが、やはり『ホロリ』は忘れていない。
ちょっとつらいな。


『浮島の森』  桐野夏生 著

これまた桐野夏生っぽくない雰囲気で、純文学的世界を描いている。モデルは佐藤春男かな?とふと思ったが、全く違うかもしれない。


『クラッシュ・ウーマン』 熊谷達也 著

面白かった。熊谷さん、こういうスタイルもいいな。
躍動感が気持ちよい。


『冬の観覧車』  小池真理子 著

女心と都会の寒さが妙にマッチする。揺るぎない。


『おこた』  重松 清 著

ほのほのしているかと思えば、ズシッと重い。この持ち重りが『おこた』そのものに集約されていて、暗くなり果てることない余韻を醸し出しているようだ。


『命毛』  出久根達郎 著

若かりし頃の樋口一葉を描いている。もう少し先を読んでみたい。


『一夜まで』  唯川 恵 著

印象が薄くて、感想メモ記せず。


『風の誤算』  連城三紀彦 著

≪噂≫は自然に流れるもの? それとも仕掛けられるもの? はたまた仕掛けるもの?
面白かった。


『レオナルドの娘』  花村満月 著

結末がちょっとエグくて、花村さんらしいと言えば言えるのかもしれないけれど、ちょっと引いてしまった。


『タケヤブヤケタ』  藤沢 周 著

いやあ、コワイですなー!
これは友人某momoさんにお薦めしたい一品。



小説雑誌で短編を読む、と言うのは、結構疲れるものだ。
しかもこれだけソウソウたるメンバーの作品たちだ。
ひょっとすると、私には合わない読書スタイルかもしれない。


たまには読書の記録でも - 2011.08.04 Thu

読書メモを記すことから遠ざかって久しい。
それがどれぐらいの期間だったかもあやふやだから、その間、何を読んだかはもっとあやふやなんだけれど、今日、ちょっと新鮮な作品と出会ったので、思い出した何編かメモってみる。


『至高聖所(アバトーン)』 松村栄子

『神の火』 高村薫

『アヒルと鴨のコインロッカー』 伊坂幸太郎

『ゴールデンスランバー』 伊坂幸太郎

『チルドレン』 伊坂幸太郎

『重力ピエロ』 伊坂幸太郎


伊坂幸太郎氏のものが多いのは、実は映画の後追いだ。
だから純然たる読書と言うよりも、映画を補足するためのような読み方になってしまっている。読めば納得する。映画と原作を足すことで、私の中でようやくひとつの作品が完結するというような納得の仕方。

これは映画に対しても、原作に対しても失礼な接し方になるやもしれないのだけれど。
ただ、同じ作家の作品を読み続けることは、ある意味、楽チンなので、続いてしまうという側面もある。


高村薫氏の『神の火』は再読なのだが、なんだかとてもホッとする。
文体はちょっとばかり古くって今流ではないのだが、それでも、郷里に帰ったような安堵感がある。
同世代として、同姓として、このような作家が在ることを、とても誇らしく嬉しく思う。

今日読んだ『至高聖所(アバトーン)』。
1991年度下半期(92年1月)の芥川賞受賞作品である。
実はこれ、書棚を整理していて当時の文藝春秋の中に見つけた。
あわやゴミ箱行き、その寸前にふと目にとまった偶然の掘り出し物だ。

(すっかり黄ばんでしまった古い文芸誌がほかにもいっぱい出て来て、しかも未読ばかりなので、以後気をつけてお宝探しをしようと思う)


芥川賞受賞作品は、このところとんと読んでいなかったし、近い記憶では余りよい記憶が残っていないので、やや懐疑的気分で読み始めたのだが、すぐに引き込まれて一気に読んでしまった。
うん。面白かった。



猫ばっか 佐野洋子 著 - 2010.11.25 Thu

猫との距離感がとてもいい。


猫ばっか_convert_20101124053611

『ペットを所有したりするのは人間だけで、像が、亀をペットにしたり、蛙が蟻を撫でたり養ったりはしないのである。』

『自分の事しか考えない奴は、人間の仲間から嫌がられるが、人間の集団そのものが、人間の事しか考えないのだから、大きな事はいえないと思うつつましい人間など居ないのである。』



101124_0306~0001



『白い猫は、座り方が美しかった。
足のそろえ方としっぽの巻き方を
計算しているようだった。
花を生けると、花の横でいちばんきれいな座り方をした。
そして、カリフォルニア・ポピーの側で、
いつまでも動かなかった。』


101124_0307~0001



『猫がひなたで顔を洗っていた。
私は、それを見ていた。
猫は、それからまるまって眠った。
私は、それを見ている。
猫は動かない。
私は、それを見ている。
春になったなあ。』

101124_0307~0002



『猫一匹が私の留守の間、家の中で
生き続けていてくれると、
家は死なないのである。
猫と一緒に、家もずっと生きて
いたのだということがわかる。』

101124_0308~0001


☆ 上記イラスト、文章は、佐野洋子著『猫ばっか』(講談社文庫)より引用させていただきました。

Op.ローズダスト - 2010.07.04 Sun

福井晴敏著『Op.ローズダスト』を2度読む。
1度目は力づくで端々まで。2度目はのんびりと飛ばし読みしながらなのに、めちゃくちゃ時間がかかった。

はじめに読んだとき、『論』が多いなと感じた。『説』と言い換えてもいい。
福井さんの著作の中で、大作『亡国のイージス』ほか、《ダイス》を描いた短編がいくつかある。
《ダイス》という、防衛庁情報局下にある極秘の諜報機関。もちろん血沸き肉踊るストーリーも面白いのだが、そこに描かれる登場人物たちが織り成す悲喜こもごもに、より惹かれてしまうのだろう。それは、短編の中でより際立っているように記憶する。

さて、この『Op.ローズダスト』は、とんでもなく言葉の多い作品である。どのページにもギッシリと言葉が詰まっていて(そう、まさにスシ詰め状態)、だからなかなか読み進めることができない。流れない。滞る。

たとえば、高村薫の作品にも、うわっと思わせるほど濃密な描写が多かったりもするのだが、それでも高村作品には流れがあって、なんとか最後まで流れに乗ることができるのだが・・・。

このローズダストはそうはいかない。生真面目に読もうとすればするほど、いつまでたっても加速することができずに、渦の中に滞留しているような息苦しさがあった。風景、地理、建造物などの描写なども生易しいものではないのだが、まあそれは置いておく。

問題は、『論』と感じ、『説』と感じた部分。
1度目は、すべてに一応目は通した。2度目は、申し訳ないが流し読み、もしくは飛ばし読み。
このあたりの『論』や『説』は、この作品のみに登場するものではなく、『ローレライ』から始まり、一連のダイスものには多かれ少なかれ描かれてはいるのだが、どうも私には、もうひとつわからないのだ。論理そのものがわからないと言うよりも、ここまで字数を割き、様々な形をとりながら繰り返すだけのことがあるんだろうか、と。

だって、結局はローズダストだよ?

そして言葉。『古い言葉』と『新しい言葉』。
既成概念 vs 新しい視点。あるいはアウフヘーベンへの提言?

それとも、こうやって弁証法的止揚を敢えて描かずにはおれないほど、時代は逆行していると、少なくとも福井さんは言っているのだろうか。

話は逸れるが、影の存在であるダイスやSOFをすら、この作品はかなり突き放した描き方をしているのだが、ふと、これって、忍びの世界とかスパイ大作戦とか必殺仕置き人的世界とも通じるエンターテイメントなのかもしれんぞーと、途中で思えてきた。必殺シリーズの痛快さは、たとえそれがコケオドシ的なものであっても、やっぱり面白く見てしまう。それに通じるものがきっとある。

そこにたくさんの、実にたくさんの『論』や『説』をからませ、パターンナイズされているとはわかっちゃいても知らず知らずのうちに惹かれてしまう魅力的な登場人物。決して読みやすい作品ではないけれど、それでも意地を張ってでも2度も読まされてしまった何かは、確かにある。



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