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2005-02

32 蕨野行 村田喜代子 著 - 2005.02.19 Sat

 読み終えてからしばらくの間、茫然自失。こんなにむごい小説を、これほどまでに淡々と、そしてしんしんとして美しく描けるものかと、しばし言葉を失う。
 時代はいつごろなのだろう。場所はどこなのだろう。山にも川にも村にも名前はつけられてはいるけれど、私の寡少な地理的知識ではいずことも推し量ることができない。

 姥捨ての物語である。けれどもそれは、恐山のような恐ろしげな場所ではなく、わらび野と呼ばれるなだらかな美しい野に入ることを意味する。村の秘事として、六十歳を迎えた年寄りが、春になると打ち揃ってわらび野へ行く。その年寄りたちをわらびと呼ぶ。いくつかの掘っ立て小屋はあるのだが、食べ物はない。年寄りたちは毎日、半里ほどの道のりを歩いて村に戻り、仕事をさせてもらい、その代償として昼飯にありつき、夕飯分ももらうことができる。
 一日仕事を休めば、その日は飢えるしかない。野で起き伏し、里へ通って仕事をする日々に、老人たちは少しずつ疲弊してゆく。
 背景として、長雨による冷夏によってもたらされた飢饉があり、数年に一度はやってくるといわれる冷害と、村々の貧しさ、生きてゆくことの厳しさが、描かれる。身ごもっても子を産むことのできない貧しさ。間引きや堕胎、あるいは身ごもった年若い嫁を離縁することでしか飢えをしのぐことのできない村の現実。婚家から追い出され、里でも迎え入れてはもらえない女たちは、首をくくるもの、川に身を潜めるもの、あるいは山に入って異形のものとして行き抜くものもいる。
 物語は、レンと言う先代の庄屋の女房が、息子の嫁、ヌイに向かって問わず語りをする形で描かれている。方言とも古語ともつかない摩訶不思議な文体が、なんとも懐かしく温かな色合いをかもしだす。読みにくいなと思ったのは、最初の一ページほどのこと。十六、七の嫁と六十になるババとのかけ合いは、すぐさまこちらを物語の中に引きこんでくれた。
 一人は里から、一人はわらび野から語ることで、村の暮らし、老人たちの日々が少しずつ明かされてゆく。死を見つめながらも、村を思い、子を思い、孫を思う老人たち。あまりにも厳しい共同生活の中で交わされる情の細やかさ。
 老いることの意味、老いのあり方、老いの役割などなど、声高になることなく、ひっそりとこうべを垂れて考えてしまう。
 物語の終盤は、白でも黒でもなく、予想だにしなかったところにリンクする。
 読後数時間を経てなお、生きて幸せであるとはどういうことなのかと、しんみりとした思いに浸ったまま、まだ抜け出せずにいる。
 
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