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2005-07

42 チョウたちの時間 山田正紀 著 - 2005.07.17 Sun

 SF小説である。SFそのものについては全く詳しくないのだけれど、《時間》を扱ったものにはとても興味があって、グイグイ読まされた。

 古来《時間》の象徴的存在として登場する蝶を、幻視的に上手に使い、タイム・トラベルものとはまったく異なる世界を見せてくれた。道具立てとしての時間ではなく、《時間》そのものがターゲットなのだ。
 《時間》が人間にとってどういうものなのか、人間の認識する《時間》と、《時間》そのものを表する《純粋時間》なるものがどういう関係をもっているのか。それが人間にとってどう災いしてくるのか・・・と展開し、知性、意識の功罪にまで話は及ぶ。

 原子物理学者ボーアやハイゼンベルク、マヨラナ。ナチス全盛期のヨーロッパ社会から現代日本。マヤ文明からブラックホール生命体、あるいは反物質、反宇宙生命、などなど、虚実織り交ぜて、作者のイマジネーションは縦横無尽に展開される。ときに、読者であるこちらのイメージが追いつかなくて、登場人物と一緒に催眠状態(理解不能による催眠状態? ^^;)に陥ったりもしながら、なんとか像を結びつつ最後までついて行った。

 描こうとしている世界は、大いに興味深くもあり、大筋においては面白かったのだけれど、たぶんこれだけの分量ではきっと書ききれなかったに違いないという不本意さが、読み手であるこちらの焦れったさと重なって、それが不満として残ってしまった。

 SF小説であり、なおかつ青春小説でもあろうこの作品を、もう一歩進化させて、いや、蝶になぞらえて言うなら、もう一度大きな変態を遂げた形で読ませてもらいたいと思ってしまった。
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41 シュンポシオン 倉橋由美子 著 - 2005.07.17 Sun

 タイトルとなっている「シュンポシオン」とは、シンポジウム(Symposium)の語源となったギリシア語で、古代ギリシア人たちが、床に寝そべり、酒を酌み交わしながら談笑を楽しんだことを意味するらしい。

 《どこでもない場所、いつでもない時》を書く倉橋作品だが、一応この作品は、21世紀になって10年ほど経たころ、という時代設定のようだ。手元にある文庫の印刷年が1988年となっているから、書かれたのは更に遡ることを考えれば、20年以上先を予見しての作品と言えるだろう。

 ことばが美しい。精緻で密度の高い表現、詩的で鋭利で馥郁たる香気が匂い立つ。無駄も無理もなく、文字通り、大舟に乗った気分で、その文章世界に身を委ねることができる。この安心感はたまらなく嬉しい。

 それから、深く、高く、屹立する教養。たとえば、日本の古典世界から古代へ、詩歌の世界。あるいは古代中国。そして古代ヨーロッパへ。美酒・美食、そして高次なところで繰り広げられる会話。

 小説とは、対峙するAとBがあり、その対峙からさらにCという局面が開かれる・・・そういう世界であると思っていた。ほとんどの小説が、そうやって展開していくものと思っていた。

 けれど、この『シュンポシオン』における会話(対話)は、Aに対してBが頷き、Bに対してAが同調し、といった形で進んでいく。同じ項を、少しずつずらしながら積み重ねていくような感じだ。弁証法的なつっかえ棒なしで積み重ねられていく図は、まるで賽の河原の石積みにも似ている。

 非日常的な酔宴の中で交わされるこうした会話は、意味も意義も不問なところにあっても不思議はないのかもしれないと思ったりもする。

 お馴染み桂子さんが、凛とした雰囲気そのままに「おばあさま」となって登場し、作品の芯となっていることもまた嬉しかった。

 それにしても、魅せられながらも、笑わしてくれるね、倉橋さん。あなたのユーモアには、やっぱり降参するきゃない。

40 ポポイ 倉橋由美子 著 - 2005.07.02 Sat

 ネットを介した友人のひとりが、倉橋作品の中で一番好きだとおっしゃっていた『ポポイ』を読んだ。面白かった。期待も予想も裏切って、とっても面白かった。

 ギリシア神話・上流一族・教養溢れる主人公の女の子・慧(=Kか?)という名の青年。と、倉橋作品のキーワード的駒が並ぶわけだが、これをまったくの独断的勝手な読み方で読ませてもらった。
 まず、文章がいい。どうしてこんなに倉橋作品にこだわるのか、最大の理由がきっとこれだ。今読んでいる『シュンポシオン』の中に、「ギリシアの空を思わせる明晰な文体」という表現があるのだが、まさにそれは倉橋文学のことのように思える。
 同時に、日本の古典的表現世界からも、日本的情緒のまとう多湿な空気を抜いた形で、すくいあげてくる。きっと、文体にも相性というものがあるのだろう。めいっぱいの反発や疑問を抱きながらも、倉橋文学から離れられないのは、彼女の文章にとてもとても惹きつけられていたからのような気がする。簡潔で清明、不惑、そして凛としている。

 ところで、「脳死」という概念がある。「大脳および脳幹の全機能が完全に停止している状態。脳死をもって個体の死の判定基準にできるとする考え方もある。」と、これはYahoo辞書よりの引用。
 では、脳だけが生きていて、脳以外が死んでいる場合はなんなのか。首だけの存在を、人間と称することができるのか。私たちは、どういう基準によって死を、あるいは生を認識しているのだろう。
 このお話、2030年ごろを舞台にして、首だけで生かされている、ポポイと名づけられた美少年を核として展開する。また彼と対置する位置に、主人公の少女の祖父が登場する。脳溢血で倒れ、喋ることを拒絶した老人。両人とも、意識はあり、また他者とのコミュニケーションを途絶させてはいない。

 逆説的、余りにもパラドックスな世界を展開してくれながら、まっすぐな矢で射抜かれたような気がするのは、きっと私だけではないのだろう。FM東京のラジオ・ドラマのために書かれたというこの作品、ラジオを離れて、書籍として独り歩きして多くの読者を得たと言う。さもありなんと納得の一冊。

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