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2011-03

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ベジャール、BBL、そしてジル・ロマン② 追跡編 - 2011.03.31 Thu

長い長い間離れていたベジャールの世界。
再会は思わぬとき、思わぬところで訪れた。

この半年あまり、映画(邦画)を見続けていたのだが、ネットでの無料レンタルも終了したのち、見たい映画だけ借りるスポット方式に切り替えた。そのレンタルショップで、ベジャールのDVDを発見。2本あった。

『ベジャール、バレエ、リュミエール』(2002年)
『ベジャール、そしてバレエはつづく』(2008年)

『ベジャール、バレエ、リュミエール』は、フランスの歌手、ブレルとバルバラの音楽と、リュミール(光)をモチーフに、その振付過程、制作過程を追ったドキュメントである。

老いてなお矍鑠としたベジャール。鋭い眼光には、創作への飽くなき炎と、それにも増して温かさや慈しみさえ宿して、若いダンサーたちの前に在る。

二十世紀における舞踊界にあって、あまりに大きな存在だったベジャール。
彼の大きさは、舞踊界にとどまらず、さまざまな芸術、文学、文化と深く関わり、影響を与えてきた。
彼は亡くなる直前まで現役であり続けた。

ベジャールを失ったバレエ団は、どうなるのか?
そもそもバレエ団とはいかなるもので、どうやって存立し、どのように継続してゆくものなのか・・

恥ずかしながら、そんなこと考えたこともなかった。
どこかの企業や大富豪がパトロンとなって経済的バック・ボーンとなっている?・・・いや、そんなこともおぼろげに想像するだけで、公演や学校経営だけで採算がとれているのかどうかすら、考えてみたこともなかった。

BBLはどうだったのだろう?

『ベジャール、そしてバレエはつづく』は、ベジャールという巨人亡きあとのカンパニーの苦悩、そして再起への日々をつづったドキュメンタリー映画である。

現在BBLが本拠としているローザンヌ市が、年間巨額の財政的援助をしていることが明かされる。だがそれも3年ごとの契約となっているようで、主であったベジャールの不在は、カンパニーにとって、財政的にも最大のピンチとなる。

ベジャールなしでも、カンパニーとしてちゃんとやってゆけるかどうか・・。
団員たちは試されていた。ひとりひとりが試されていた。
中でも、ベジャールの後任として、芸術監督を託されたジル・ロマンは。

彼は新たな作品創りに挑戦した。
それは、ベジャールとの約束でもあった。
新しい作品を創り続けること。若いダンサーを育てること。
過去にとらわれずに前進すること。

ジョルジュ・ドン亡きあと、ベジャールの片腕として、ひとりの天才ダンサーとしてやってきたジルの肩に、あまりにも大きなベジャールからの贈り物。どんなにジルが優れたダンサーであっても、どれほど魅力溢れる演技者であっても、あの巨星ベジャールの不在の穴を埋めるのは、あまりにもきつい。

それでも彼は、一歩一歩前進することを選んだ。
そして、新作『アリア』を創り上げる。
文字通り、ダンサーやスタッフすべての力で、渾身の作品を産み出し、世に問うた。

この過程は、実はこのドキュメンタリー映画1本だけには収まらない。

この後、さまざまところから手当たり次第情報を収集して、少しずつ私の中のベジャール年譜ができあがりつつある昨今。

それでも、生前ベジャールが生み出した数百に及ぶ作品と、これからジルを中心にBBLが生み出してゆく幾多の作品のうち、いったいどれだけ触れることができるだろうか。天に散らばる星々を集めることよりも、もっとむずかしい気もしている。





ちなみにこの映画、原題を『le cœur et le courage(心と勇気)』という。
作品の最後に、こんなテロップが付されていた。

Les enchanteurs pourront bien m'ôter la bonne chance;
mais le cœur et le courage, je les en défie.

       Don Quichotte, Ⅱ, 17

魔女に幸運を奪われても
心と勇気は守り抜く

       ドン・キホーテ 第2部 第17章



・・・・ 書きたいことがありすぎて、全然まとまりません。ご容赦ください ・・・・

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ベジャール、BBL、そしてジル・ロマン① わが出会い編 - 2011.03.31 Thu

日記のテンプレートを、トップの画像を自由に差し替えられるものにかえてみた。

画像は、ベジャール亡きあとのBBL(ベジャール・バレエ・ローザンヌ)芸術監督のジル・ロマン。

1981年公開の『愛と哀しみのボレロ』で、日本でも一躍有名となったジョルジュ・ドンと、彼が所属し、ベジャール率いる二十世紀バレエ団。

私がベジャールの存在を知ったのは、その少し前だったか・・?
少女漫画に『SWAN』(有吉京子作)というのがあって、漫画嫌いの私がなぜかたまたま手にしてはまってしまった。バレリーナを志す少女のサクセス・ストーリーの大長編なのだが、その中に、当時の名だたる振付家やバレエ団が描かれていた。詳細は全くといってよいほど覚えていないのだが、唯一、ベジャールについて語られていたあたりだけが記憶に残った。

≪世界には、生まれつき大きなエネルギーを持っている人がいる。モーリス・ベジャールもそうだ。
彼のそのエネルギー、パワーゆえの吸引力は、優秀・有能な人々をはじめ、たくさんの人々を惹きつけている・・・≫

うろおぼえなので、間違っているかもしれないが、私の中にはそう記憶された。


そのベジャール作品をはじめて見たのは、多分、テレビで放映された日本公演の録画映像だったような気がする。
時間が前後するかもしれないが、おそらく2~3回分の公演を見ているのだと思う。

ジョルジュ・ドンはじめ、ショナ・ミルク、パトリス・トゥーロン、ミシェル・ガスカール・・・などの名前が記憶にある。

衝撃的だった。
強さ、美しさ、斬新さ、楽しさ、難解さ、自由さ・・・画面から目が離せなかった。

そして映画『愛と哀しみのボレロ』。

いつだったか、来日公演を観に行った。
たしか、上野の文化会館だったと思う。
事前にチケットを買っていなかったために、二階の隅っこのあたりの席だったが、それでも生で彼らのステージを観ていることの緊張と興奮と幸福感は、得も言われぬものがあった。演目は『ディオニソス』だったと思う。

ジョルジュ・ドンが、脂の乗り切っていた時代で、彼はゼウスとワグナーの二役を。
ディオニソスをミシェル・ガスカール。
息子をジル・ロマン。
舞台背景を横尾忠則。

その後もしばらくは、バレエ団の動向をうかがい、録画したビデオを何度も見たりしていたのだが、その後私自身の人生が激動期に突入してしまい、どこかで気にかけながらも追いかけることができなくなっていた。

そして長い時間が流れる。

1992年11月30日、ジョルジュ・ドンが亡くなる(45歳)。
私はずっとあとになって知った。

2007年11月22日、モーリス・ベジャールが亡くなる(80歳)。
このことさえ、かなり時間を経てから知った。

かつての二十世紀バレエ団も、いつの間にか名称をかえていた。

そして、私が夢中になって目を凝らして見ていたころのダンサー、ミシェル・ガスカールはBBLの付属バレエ学校であるルードラ・ベジャールの校長に。天才ダンサーとうたわれたジル・ロマンがベジャール亡きあとのBBLの芸術監督となっていた。


時は過ぎていた。
思いがけなくも、たくさんの時が流れていた。


・・・と、ここまでが私の、『ベジャールとの出会い編』 ^^; ^^; ^^;


ジョルジュ・ドン 『ボレロ』






こちらも見てやってくださいませ。

ジョルジュ・ドンへのオマージュ






若にゃんズ到着 - 2011.03.16 Wed

ピッカピカに若くてイケメンのにゃんズがやって来た。
いや、正確には連れて帰ってきた。

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上がアメショーとメインクーンのミックス(ん? なんだ、そりゃ?)で、生後1年と2ヶ月。
下はスコティッシュ・フォールドで、生後2年。

と、我が家の純雑種のジジ・ババ猫と比べると血筋正しき(?)若人たちなのだが、
なんと名前が「チビ」と「ニャン」

前の主を亡くして以来、わが娘たちが交代で、片道1、2時間かけて若猫たちの世話をしてきたのだが、
それももう限界となった。
ゆうべ、上の娘とともに、彼らを迎えに出かけたのだが、
主のいない家は、地震で荒れ、その中、健気に2匹で過ごしていた。

彼らとともに帰宅。
わが家のジジ・ババ猫とご対面。
多少ぎこちなくともすぐに落ち着くかという希望的観測はあっさりと覆され、
4匹の猫たちの散らす火花に、極度に緊張した一夜プラス半日を過ごしている。

ジジ・ババ猫にとっては、たった二間きりの貴重なテリトリーに、突如闖入者が現れたのだから、
必死でエリアを守ろうとする。
新参の若猫たちは、突然住み慣れた家から連れ出され、慣れないドライブを強いられた挙句、
馴染みのないニンゲンにあるじ面はされるわ、先住の老猫に戦闘的態度に出られるわで、
もうパニック以外のなにものでもない。

それぞれ一匹一匹は、穏やかで平和的なキャラクターなだけに、
予想を遥かに上回る戦闘的ムードには、私も面喰ってしまった。

もう若猫たちには、帰る家がないのだから。
迎えてくれる人はいないのだから。
わが家は難民ならぬ難猫収容所(?)
(いや、かつては犬もスズメもいたっけね・・)
おいで、みんな。
仲良くやっていこう。
お互い命のある間、一緒にやっていこう。

ね!

・・・それにしても、彼らのイケメンぶり!

東北地方太平洋沖地震 - 2011.03.12 Sat

夜勤明けで寝ていた。
頭の側で猫がモソモソと動く。
揺れている。猫も私も。

起き上がり上着を引っかけて様子をみようとしばし佇んだのだが、どうやらこれはそんな悠長なことではなさそうだ。
慌ててテレビをつけて台所のテーブルの下に潜り込んだ。

揺れている。
船底にいるかのような大きな揺れ。
立ち上がると眩暈と吐き気を覚えるほどの横揺れ。

テレビでは、震度7だとかマグニチュード8だとか錯綜した雰囲気で報じている。
と、すぐにテレビが切れた。プツンと切れた。

停電。
水道も全く出ない。
電話も無音。
携帯はどこにも通じない。

家の外から人々の話声が聞こえる。
これはただ事ではない。

さて、どうするか。

まず着替えた。
唯一の避難場所であるテーブルの足元に、退避するときに必要なものを集めた。
ありったけの懐中電灯とろうそく、乾電池も。

それから外へ出て、車へ。ラジオを聴く。
やっぱりただ事ではないんだ。

近くのコンビニへ行くが、電気の絶えた店内には長蛇の列。
あきらめて次の個人商店へ。
とりあえずの水(大きなペットボトルはすでになかった)とパンと無洗米を買って帰宅。

4時ごろだったか、チョロチョロと水が出始めた。
娘たちからメールが入っていた。
みんな無事。
ホッと胸をなでおろす。

窓際のあかりで、本を読む。
夕暮れて軽く腹ごしらえをしてから仮眠。
夜8時過ぎ、勤務先へ車で向かった。
空には可憐な星々と三日月が美しかった。
町は闇。あかりのない町。あかりのない道。

店の前まで行くと、ボスの車が1台停まっている。
店は闇の中に沈み、ボスの顔も沈んでいる。
「いつも通りに来てくれ」と指令を受けて帰宅。

22時を過ぎて、息子から電話。
よかった。
7ヶ月ぶりに聞く息子の声だったが、互いの安否を報告しあうのが精いっぱい。

23時少し前に、電気が点いた。
電話も通じるようになった。

深夜1時半すぎに出勤。
就職が決まって、今日が最後のシフト・インである相棒のHちゃん。
そんな感傷も消し飛んでしまう状況下、朝まで仕事した。

とりあえず今のところ、家はもっている。
余震の都度、ギシギシといやな音を立ててはいるが、踏ん張っていてくれている。


肝心なときに役に立たない電話や携帯。
電気がなければ何もできない不甲斐ない暮らし。
水ひとつ、自分では調達できず、
自力で動き、寒さをこらえるだけの体力もない。
これが文明だ。
これが私の現状だ。

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