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2011-06

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『思い出』との格闘 - 2011.06.28 Tue

いずれやってくる『引越し』に備えて、このところずっと、家の中の整理をしている。

休みのたびに、大量のゴミを出す。
燃えるゴミ、燃えないゴミ、資源ゴミに粗大ゴミ・・・。
それでもまだまだ家の中には不用品が山となって残っている。

二階の子供たちのエリア。
それぞれがこの家を出るとき、必要なものは持ち、いらないものは処分していったはずなのに、
それでもまだたくさん残っている。

学生時代のノートや参考書、雑誌やスクラップ、写真や小さなグッズなどなど・・。
彼らに、いらないの?と問うてみると、もういらないから処分しちゃってと、口を揃えて軽い答えが返ってくるのだが、そのひとつひとつに足止めを喰らってしまうのが、必殺片付け人である私なのだ。

私の世代ならば、生育途上で残される写真やそのほかの品々にも、数に限りがあった。
写真は、文字通りかけがえのない記念だし、大人になるまで手元に残した品々には、それなりの意味があったりしたものだ。

高度経済成長の申し子世代でもあった子供たちは、比べ物にならないほどの、溢れかえるモノや情報にまみれながら育った。貴重な体験であったはずの日々でさえ、ひょっとしたら、使い捨てに近い感覚なのかもしれないなと思ったりもする。

片付けはじめた当初は、とても捨てられなかった写真でさえ、次から次へと出てくる量の多さに圧倒され、今は目をつぶって捨てている。どんなに繰り返してもこの作業に慣れはしない。そのときどきの文字で書かれた紙片やノートも、捨て去るには勇気がいる。

子供たちの部屋に触れていると、私の知っている子供たちは、彼らのほんの一部なんだなーと、実感する。
巣立っていった現在はもちろん、幼かった日々にしても、親とふれあい、親が知る子供は、その子のすべてではないことを、今になって強く思う。

この家で成長していった子供たち。その成長の日々も、この家で過ごした時間も、とても愛おしい。

毎週の休みの片付け作業を通して、こうした彼らの『思い出』の重さの詰まった品々を整理し、私の胸の内側に畳み込まれる日が来るのかどうか。

いずれにしても目標は、必要最低限の生活必需品プラス、我が創作グッズ(これが大量にあるから困るのだが・・)、ニャンコたち用品を除いて、スッキリ・サッパリ処分しきることなのだ。

あー、まだまだ遠いなぁ。
必要ならば買えばいいとは思えない=必要でも買えない、という経済状況の中で長く生きてくると、何ひとつ捨てられなくなってしまうのだ。

だから、片付けの日々は、格闘なのだ。
圧倒的に大量の思い出との格闘、モッタイナイ・マダ使エル意識との格闘。

あー、いつになったら終わるだろう?


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