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2017-08

21 岬   中上健次著 - 2004.11.18 Thu

 テレビドラマ化された中上健次原作、『日輪の翼』をたまたま見ました。中上健次と言えば、かつて学生時代、『蛇淫』という短編を読み、それを映画化した『青春の殺人者』を見て、強烈な印象を持っていました。この『日輪の翼』を見たときも、これはどうしても原作を読みたいと思っていた矢先、フォーラムの会議室に、このドラマについてアップされた女性がいらっしゃいました。中上健次に魅せられて全集を読み込んだというSさんと、それからしばし、コメントのやりとりをさせていただきました。
 健次を読むなら、まずは短編集『岬』から、というお薦めにしたがって手にしたこの作品集。あえなくも私は、この一冊でノックダウンされてしまった感があります。重い。少なくとも私にとっては、とても重い世界でした。
 その後、一年以上の間を空けるまで、健次の次の作品を手にすることができなかったほど重かったです。おそらくこれからも、一年に一作品ぐらいずつしか読み進めることはできないかもしれません。それでも、これからもこだわり続けていくだろう作家であることには間違いはありません。
 少し長くなりますが、この『岬』を読んだ直後、Sさんに返したコメントを引用することにします。健次についてほとんど何も知らずに、こわいもの知らずで書いてしまった、まったく得て勝手なたわ言ですが、このコメント以上に、あのときの感動を語ることはできそうもありませんので・・・。認識の浅薄さや不足がありありと露呈していますが、健次初心者の素朴な感想ということで、お許し願います。
  【中上健次の魅力】-Sさんへ-

 中上健次にじわじわと浸食されていくような恐怖を感じています。

- ついでに『枯木灘』に進んで行かれるとより解りやすいと思うのですが、錯綜する家族関係、これに嫌気がさす人もいるかもしれない。反復され続ける、複雑な血縁関係の描写があります。 

 やはりそうですか。
 この『血』への執着とも言えるこだわりは、壮絶なものがありますね。自分の中の御しがたいものに突き当たるとき、人はさまざまな方法でそれを克服しようとしますが、これを克服する試みの過程で、さらに自己のアイデンティティを求めなければならない必要性がギリギリと出て来てしまう...それは、あるものを克服してゆく過程で、下手をすると自己崩壊の危機にさらされることがありえるからなのでしょう。
 では、中上氏は、なぜそこまで『血』に怯えたのか...それは、単に個別的な事情、つまり産みの父親である男の特殊性、ということではないような気がします。たしかに父親を核にしてその回りをぐるぐると回っているような書き方がされてはいますが、父親に象徴されるものから受け継ぐ血=土俗的なものによって引き裂かれる自我に怯え続けたのではないかと、そんな気がして来ました。
 彼の体内を流れている血の濃さは、ではどこから来たのか。それを考えると、どうしても和歌山、いえ、紀州という国の特殊性を思わざるを得ません。
 これはあくまでも私の勝手な推論にすぎませんが、紀伊半島は近畿の一地方でありながら、半島深く及んでいることから、たくさんの特殊性を擁した土地ではないかという気がしています。南北朝時代に起こる根来衆、戦国期には真田昌幸、幸村親子が幽閉された地。また、雑賀党はじめ土俗の地侍たちが割拠する地であり、信長、秀吉も彼らゲリラ的自由の徒を意のままにすることはできませんでした。江戸時代、徳川御三家のひとつとして紀伊藩は吉宗などを排出してはいるものの、藩政は半島の半分にも及ばなかったと聞きます。また山奥深く分け入ると、そこは修験道者たちの籠もる神々の山であります(いい加減に書き連ねてますので、まちがいだらけかもしれません )。
 距離的には京阪神にあれだけ近く、周囲を海に接していながら、内深い山々を抱き、時の為政者の手の届きにくい土地。貧富の差も激しく、黒潮に洗われ、台風に叩かれ、独立不羈と反骨の精神を養わずにはおられない土地柄ではなかったのでしょうか。
 沿岸の、特に南端部、中上氏が育った新宮から太地のあたりは、捕鯨に見られるように、海に乗り出し海とともに生きた者が多かった...同時に半島南端部は、黒潮の流れが南洋の島々から寄せて来るところに位置しているため、古くから遭難した南洋の人々が流れ着く場所であったことも推察されます。また、太地の捕鯨のもとは、かつて瀬戸内を荒らした村上水軍の残党だという説もあるようで、海賊時代に略奪した高貴な姫たちの血がかなり流れ込み、それゆえ太地には美人が多いという言い伝えもあるそうです。
 中上氏の作品で『父』として登場する男、そして主人公の男の体躯の良さや相貌は、この地域のある種の男たちの持つ相貌を連想させました。『勇魚』という鯨とりを描いた小説の主人公もそのような風貌でしたし、...蛇足ながら、私の父親一族もまったくそのままの雰囲気です。
 そして、山岳部の人々。これは全く趣を異にしているのではないかという気もしています。かつて有吉佐和子が、紀州女は、うりざね顔の色白美人...と書いていたような気がするのですが、これはおそらく海浜に生きる人々とは、まったくルーツを異にしているような気がしてなりません。かつての高貴なる人々の落人であったり、いわば支配者階級の人々の末裔であるような...。
 以上は、私の憶測と推論であり、ここに並べた例示や逸話もとってもいい加減なものに過ぎないのですが、紀州について日ごろ漠然と感じているものを並べてみました。
 中上ワールドの骨太さを思うとき、こうした背景を無理矢理でっちあげてみたくもなるほどの、土性っ骨、泥臭さ、陽では無いけれど決して陰々滅々たる陰ではないどす黒い闇、腺病質ではないけれど異様に繊細で研ぎ抜かれた鋼の斧のような危うさ...そんなものを感じてしまいます。
 それは、都会人、現代人が、すでに去勢され忘れ去った何か、本来の血のどす黒さ、猛々しさ、愛などという言葉では表現しきれない熱い生命そのものなのかもしれません。ただ、それらをはっきりと抱えながら、この現代に生れ、優れた知性を持たざるを得なかった...現代という時代に置かれた知識人にならざるを得なかった中上氏の苦悩の大きさを思うと、書くしかなかったことが否応なくわかるような気がします。
 いわば都会のインテリゲンチャの典型でもあろう某評論家氏言うところの『人間の相貌をそなえた、けものじみた世界』などという言葉が笑えてしまうほどの、本物の土俗性。海と山が実は人を閉ざす世界であることをその血の中にはっきりと自覚した中上氏。それゆえに、Sさんも私も、彼の中に『男』性を見たのでしょう。
 そして同時に彼の描く『女』性、そして『母』性。
 高群逸枝の「女性の歴史」という膨大な女性史研究の書の中で(ちらっと読んだだけなので、きわめていい加減ですが)示唆されている、太古の時代の『母』性と『女』性の乖離のない世界。今の私たちには考えられない、女と母がまるっきり重なった同心円で存在する者として描かれているように思えました。
 母でありながら女であることを、当の母は真っ直ぐに引き受けて生きています。ただ、息子の目から見ると、母親は一匹の雌であり、ひとりの女である以上に、かけがえのない聖なるものであって欲しい思いを消すことはならず、その母が女である生き方を目前で繰り広げることに対する、生理的とも言える拒絶感が、痛いほど伝わります。
 中上氏の中で、父親、もしくは兄が『男』の象徴的存在になっていないでしょうか。そして母親、もしくは病弱な姉が『女』の象徴に。父と兄、母と姉、その姿は対極にあるようにも描かれ、相矛盾しているようにも見受けられますが、中上氏にとって父と母は直列の、兄と姉は並列の血の関係であるということで、ひとまずは理解しましたが、いかがでしょうか。

- 主人公秋幸が土方の仕事を心底好きで、土をあぶり、日を受け、芙蓉の花が匂う、そのままの自然の中にいる世界に心を揺さぶられ続けて来た。
 そうですね。そしておそらく中上氏は、都会に身を置きながらも、そうした土の臭いを絶えず自分の内に感じ続けたのでしょうね。それが、今彼が身を置く世界では、決して受け入れられない違和感に苛まれながら。
 乾いて無駄のない文体でありながら、濃密なる世界を描ききる。それは灰汁などと言う体液の中の廃液ではなく、体液そのものの濃さ、吐き出す呼気の臭気。それでいて、おそらく中上氏には体臭はない。体臭など籠もる余地のない生きざまの中で書いている中上氏を、今、強く感じています。
 血縁や地縁、紀州の海や山を描くことで、彼は自分の血脈を叩き出すと同時に、これは自己救済、自己浄化の闘いだったのかもしれませんね。

 昨日、ゴッホ展を覗いて来ました。ゴッホも、自分をもとめた画家であったと思わされたのですが、激しいものを持たされて生まれ落ちたものは...どこまで行っても、いわば自己のアイデンティティをもとめることでしか生き残れないのかもしれない。そんなことを漠然と思いつつ帰って来ました。
 なんだか全くまとまりのないことを、ぐだぐだと書いてしまいました。これほどの持ち重りのする作家や作品と、この歳になって出会えたこと。Sさんに感謝です。

読んだ時期:1999.11  2002.06.27記
収録作品:岬/浄徳寺ツアー/火宅/黄金比の朝
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